短歌 小原晩

ばんぶんぼん!は作家の小原晩、星野文月とBREWBOOKS尾崎大輔の3人によるリレー連載です。3人で話してみたいテーマを持ち寄って、自分の思うこと、ふたりに聞いてみたいことなどを書いていきます。連載のタイトルは3人の名前や愛称をくっつけました。


文・写真・題字:小原晩/星野文月/尾崎大輔
キービジュアル:モノ・ホーミー

『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』の著者プロフィールには、たしかに、歌人と書いてあり、しかし私はそれ以降、歌集をだしていないし、SNSで発表もしないし、投稿欄にもいない。つまりは小原晩の短歌など、ほぼどこにも存在しない。よんだことがあるとすれば、エッセイのうしろに一首あるかどうか、という実にふわふわしたものである。
まずはどうして自分の肩書きに、歌人と書いたのかを説明したい。
私のはじめての本である『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』に入っているエッセイのいくつかの終わりには短歌が登場する。例えば、

神様はいるいないいるいないいるひまわりもぎとり占いましょう
女の子夜道は危ない送ります君が好きですでも無職です

エッセイの終わりに、ふろくみたいに置いてある短歌たち。私はそれを、エッセイの終わりに置きたくて置いたわけだけれど、いざ置いてみると、さて、これが読者に短歌だと伝わるのかどうか不安になった。かといって、

神様はいるいないいるいないいるひまわりもぎとり占いましょう(これは短歌です)

などと書くわけにはいかないから、最後の最後、プロフィール欄に「歌人」と書いてあれば、あれは短歌だ! と伝わるのではないかと思った。だからそう書いた。それに、あのときは『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行した後は、歌集をつくろうと思っていたのだ。だから、あの場所に、自分が誰なのか示すあの場所に、わざわざ歌人と書くことについて、私は一切の違和感をもたなかった。

自費出版で本を出すまで、私は、ひとりでに言葉を書いていることが恥ずかしかった。けれど私は私の言葉が好きだった。どうしようもないおもいでが言葉になると(それはときに短歌になり、ときにエッセイになり、ときに短い物語になった)これでよかったんだと底から思った。助かった。私は私の言葉があって助かった。そういうふうに誰にも見せず、こそこそと、哀しく、愉しく、私は歌をよんできた。けれど、その歌を誰かに好いてもらえるかどうか、それはほんとうにわからない。私にうまいものはできない。私にうつくしいものもできない。ならば私にできるものはなんだろう。必死に考えているところです。
いまのところ、正直に、短歌について話すとすれば、こんなところになると思います。

 

小原晩 / Ban Obara

2022年初のエッセイ集となる『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版。2023年「小説すばる」に読切小説「発光しましょう」を発表し、話題になる。 9月に初の商業出版作品として『これが生活なのかしらん』を大和書房から刊行。